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2004年06月25日

SEであり社長であるということ

システムエンジニアとして20年仕事をしてきました。多種多様ななシステムに携わり、さまざまなお客さまとつきあってきました。
そのとき、そのときで仕事にも、自分自身にも疑問を抱いたことは何度もありました。
それでも、長く現場で仕事をしてきたことは誇りであり、恥ずかしいと思ったり年だから抜けようと思ったことなどは一度もありません。
時代を経て技術は、移り変わり、システム設計のツールや技術も替わりました。昔は、良い時代だったとも、今の方がずっと良いともどちらも思いませんが、1つだけ気にしていることがあります。
それは、プロジェクトであり、会社であり、チームで行う作業というのは、どんな形のものであれ、たった一人の覚悟、責任といったものが最低限必要とされるということです。
不思議なもので、自分が責任を持たなければならないことと、そうでないことに対しては意識も、反応も行動も全く違ったものになってしまうことがあるのです。
常に、自分がかかわったことには、おばさん的に「余計なおせっかい」を心がけている私ですが、それでも、やはり自分にその仕事の責任を取る覚悟があるかどうかで発言内容や思考内容、行動内容は変わってきます。
もっとも、責任を取る覚悟というのは、そのプロジェクトへの関り方の度合い、他人から見たときの自分の役割といったことも大いに関係してくるので一概に、誰もが責任をとればいいというわけでもありませんが。
会社という組織は、具合良くいけば、素晴らしい力を発揮するものですがひとつ間違えると、責任を取る人間がいない場になってしまうときが多々あります。皆が他の部署の責任にしたりする場合がそうです。
もしくは、悪い情報を自らの口から伝えるのを恐れて責任を持つ人間にまで、声や情報が届かないときがあるのです。
小さいながらも「社長」という肩書きを持ちながら且つ、現場で働く私としては、自社の責任、個人の仕事としての責任感だけは、人一倍強く感じているつもりです。
ただ、システムエンジニアという職種の責任や役割だけでなく、上司として当社のSEやプログラマを統制する、守るといった役目。また、仕事の中で、プロ意識を伝える。育てる。といったこと、会社経営としての売上を考えながら原価意識を持つことまでもが要求されます。
責任を持つという言葉は、それ自体は快い響きがあるものの、その反面、とんでもない境遇に自分や周りの人間をも引き込みかねない危険なものでもあります。
だからこそ、組織の歯車といった意識しか持たない人間は、その危険な香りからなるべく逃げようとするのでしょう。
自分が言ったこと、したことの責任をとるだけでなく、チームや組織としての在り方・行動に責任を持つ。そんな覚悟を懐に忍ばせて今日も、頼りにされる自分でありたいと強く願っているのです。
ファイト!

投稿者 sugiyama : 2004年06月25日 14:42

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