わたくしは株式会社アイロベックスの本部長の杉山淳子と申します。
おかげさまで当社アイロベックスも創業25年となりました。
創業10年で残る会社は1割しかないといいますが、これも全て、当社に仕事を何度も何度も発注してくださり長いお付き合いをしてくださっているお客さまと、ひたすらシステム開発という仕事に精進している社員達のお陰です。
ここでは、当社の会社の沿革を追いながら、わたくしのシステム開発に対する熱い思いについてお話しさせていただきたいと思います。
東京都渋谷区渋谷のマンションの1室で 株式会社アイロベックスはスタートいたしました。
当時、わたくしはシステムエンジニアとして、5~6年のキャリア。
既に何件かのお客さまがあり、お仕事を継続的にいただくことが決まっているという極めて幸運なスタートでした。
問題は、唯一つ「社員がいない」ということでした。そうです。一人で独立したのでした。
前職では副部長であり、自分が辞めるだけでも迷惑をかけるのに、部下を引き連れての独立など全く考えられないことでした。わたし自身「文学部」出身であり、25歳からプログラミングを始めてSEになったという経緯からどんな素人でも、技術者に育ててみせる自信がありました。
電車に乗れば隣に立った若者を見て「このひとは転職したいと思っていないだろうか?」と想像し居酒屋で隣に若者が座り会話をすれば、必ず「うちに入ってくれ」と頼んでいるような有様でした。
そうこうしているうちに「パソコン通信」で一人、紹介で一人、また一人と入社してくれる人ができました。
本当に社員になってくれて「ありがとう」と心から思っていました。
立ち上げたばかりの会社でしたが、逆にそれが安くできると思われたせいだったのか、おかげさまで紹介された案件がつづきます。バブル崩壊直後も当社だけは仕事があり忙しかったのです。
ところが、「絶対に失敗してはいけない」という紹介案件があったのですが、ここで
プロジェクトに失敗してしまうのです。
今、思い出しても嫌な情けない記憶が蘇ります。
1つは問題を甘く見ていたわたしと、お客さまとの間で認識の相違がありすぎたということなのですが
ある事件をもとに一気に信頼が失われ、契約が一方的に破棄されてしまいます。
一生に一度の不覚でした。
悪いときには悪いことが続けさまに起きる。ということが本当に身にしみました。
すでに、いただいている請負金額について返金しなければいけなかったのですが
このお仕事をご紹介いただいたシステム会社さんが、今後の売上から少しずつ返して
くれればいい。というありがたい申し出をしてくださりなんとか繋ぐことができたのです。
オフコンからPCへ
Microsoft が Windows3.1 を発売したことでPCがあっという間に個人、企業どちらにも広まりました。
4GL(第四世代言語)と呼ばれる様々なツール言語が登場していましたが、Microsoft Accessが個人ユースのリレーショナルデータベースとして登場したのが何といってもトピックでした。
索引付データベースからリレーショナルデータベースへ
COBOLから簡易言語へ
リレーショナルデータベースといえばORACLE、OSはUNIXが一番人気でした。
当社もこの時代にPCを揃え、Macを買いそしてSUNのサーバーを手に入れ、ORACLEをリース購入しました。
そして、インターネット時代の幕が明けたのです。
ilovex.co.jp ドメイン取得・・・インターネットがすべてを変える。
当社もインターネットサーバー構築のスクールを開きました。
インターネットは、まだまだ、簡単なホームページ利用だけといった時代でした。
Webのプログラム言語はPerlでした。
まだこの頃の開発言語は、AccessかVisualBasic、そして少しだけCOBOL でした。
ただ、次々に新しいインフラやソフトウエアが登場し、技術者にとっては、今、思えば「明治維新」のようにワクワクする時代でした。
SQLServer2000+ ASP
ORACLE+Java
といった組み合わせの大規模システムを次々プロジェクトとして請負いました。
CMS+AD 販売開始
Your-School ASPサービス開始
2005年以降は、請負でシステム開発をするのと同時に、常に新しいパッケージなりサービスを作ることを心がけています。
なぜなら技術者は仕事をすることこそが成長するコツですが、勉強好きで常に新しいことを怖がらずに取り入れていく資質や環境が必要なのです。
お声がかかった仕事だけをこなしているのでは、新しい技術を使うチャンスが無くなってしまいます。
だから、販売していないシステムも含めて、当社のイントラにはシステムだらけです。
全部、自分たちで作って使っているシステムです。
システム会社の本来の役目は、「システム開発」を、ただ作ることでは無いのです。
もともと、システム開発とは、企業の業務をシステム化することを意味しています。
ただ作ったからといってその役目が果たされなければ意味はありません。
システムを作って幸せになろうと思って多額な投資をしたのに、うまくいかなかった。そんな思いを2度とお客さまに味あわせたくない。
ちゃんと動く、動くだけでなく、役に立って喜んでもらうシステムを作る。
そういう勘どころを身につける。
作る側も命をかけてシステムを作っていこう。
お客様の側も膨大な時間、金、頭をつかってくださっているのです。
それを受けさせていただく私たちは、夜も昼も常にお客さまのことを考え、同じ悩みを感じ、問題解決していこうとするのは、当たり前のことなのです。
システムが、もし、高いと感じられるのであれば、それは、時代のせいだけではないのです。
私たちシステム開発会社が本当に役にたっていただくシステムを納品できれば決して高くはない。
10年も喜んでいただいて使い続けていただいているシステムもある。
もちろん、不幸にも数年でその命を終えたシステムもある。
しかし、作るときには、あくまで「10年使えるシステム」を目標とし、開発していきたいのです。
システムは、「作る」過程には意味はない。
「使ってなんぼ」「使われてなんぼ」である。
そのことだけを常に考えていきたい。
社員が全員「業務がわかる技術者」であらんために、これからも精進していきます。