今週も、前回の「画面設計とユーザビリティ」の続きです。
ヤコブ・ニールセンが「ユーザビリティエンジニアリング原論」で定義した5つの要素の中で、私がどうも気になって仕方が無いものがあります。
それは、「主観的満足度」です。
「主観的」というのは当然、ユーザーの立場に立ってのことであり、もちろん、「我ながらよくできたわ・・・」という開発者側のことではありません。
ユーザーにとっての主観的満足度とは何か?
それは「感情」です。
例えば、感情のお話をするのに、「我が家を選ぶ」という場合について、お話したいと思います。
引っ越しを何度か経験したり、自宅を購入された方には分かっていただけるかと思うのですが、客観的に見て、その不動産が資産的に良いかどうかとは違ったところに沸く感情がそこにはあります。
例えば、「駅から遠いけど、その間の緑に心が癒される」とか、「多少、静かではないけれど、隣近所づき合いができている」といったことです。
我が家という物件を見たときに、「駅から○分、南向き、築○年、建設会社は○○」といった、客観的な評価条件だけでない主観的な満足度が入ってくるのです。
システムも実は、似たようなことがあるのではないかと思っています。
しかし、システムにおいてユーザーの感情に訴えるものを作りだすのは、難しいと思うのが普通でしょう。
そこで、「画面設計」です。
システム設計者のあなたは、ユーザーの方と画面設計をするときに、どれだけの時間を割いているでしょうか。
ユーザーがこうして欲しいという意見を、どれだけ取り入れているでしょうか。
画面デザインに気を入れているでしょうか。
正直、今のような「洒落たデザインが充ち溢れている時代」に、あり得ない不器用なデザインを作っていないでしょうか?
ユーザーの「こんな感じ」という意志を、「コストがかかる」「無駄」という意見で切り捨てていないでしょうか。
毎日毎日、同じ画面を眺めて操作するユーザーには、その画面に対する「感情」が生まれてきます。
癒される色、励まされる色。
そして、使いやすい、自分の意見が通っているデザイン。
少なくとも、意見は通っていなくても自分のことを分かってくれるSEが、良かれと思って作ってくれたデザイン。
それは、分かるものだと私は信じています。
画面デザインで主観的満足度を提供する。
それは、デザイナーのセンスだけでなく、SEのユーザーに対する思いやりでもあるのです。
Vol.00166