クオリティと品質
ベトナムに視察に行って、日本からソフトウエア開発を請けている会社の方にお話を伺う機会がありましたが、「日本の会社は品質に非常にうるさい」ということでした。
「日本の」とおっしゃったのは、「欧州やアメリカに比べて」というような意味でした。
「品質」を英訳すると「Quality」であるとずっと思っていましたが、どうも、日本のビジネスにおいては、「品質」とは、ある部分のことが一定レベルに達していることを意味していて、一方で、「クオリティ」と言うと、全体としての目的や顧客要件にどれだけ合致しているかという意味で使用していることが多いようです。
そういった意味では、顧客の信頼を失うのは品質が悪いときですが、顧客の信頼を得るには品質が良いだけでは足らず、クオリティが高くなければならないというわけです。
システム全体として、顧客要件の合格レベルは、細かい部分の1箇所ずつの平均点や総合点ではなくて、もっと別の視点から見た、大きな基本思想といったものから発生するのではないかという気がします。
前々から、仕事の仕組みとして、建設業はシステム開発会社と似ていると思っていました。
実は、昨年、実家を新築しました。複数の人間(家族)のさまざまな思惑があり、まさに三谷幸喜監督の映画「みんなのいえ」を地でいくストーリーとなったわけですが、できあがった家を見たときの思いとして、システム設計と本当に近いものがある、と思ったのです。
施主にとっては、出来上がった家を見て、「まったく不満が無い」「全て思い通り」ということはほとんど無いことでしょう。
つまり、何かしら気になる箇所はあるものなのです。
しかし、幾つかの細かな不満点があったとしても、それを超える大きな満足感があるからこそ、施主は納得するのです。
そして、多少の不具合についても、すぐさま対処できることはすぐ対処し、相談に乗るといった姿勢、つまりフットワークが軽ければ、お客さまの不満が大きくなることは、それほどないのです。
一方、一番いけないことは、大きなことで満足感を与えられないような仕事をすることではないのでしょうか。
大きな満足があれば、多少の欠点は許されるのです。
しかし、その大きな満足を生み出す仕事の力、遂行能力というのは、細かなことの積み重ねからしか、実現できないことなのです。
手順、スケジュール管理、チェックといった作業は、どんなに細かく考えても、また行っても、やりすぎるということはないのです。
逆に、成果については、細かなことを全て実現しようとしてしまうと、コストや人間の時間さえもが些細なことだらけで奪われてしまい、「大きな満足という成果を、結果として達成できなくなるのではないか?」という気がします。
ちょっと抽象的だったでしょうか?
思想がある骨組みと細かな手順、クオリティをあげること、それらが、顧客満足を得るための重要事項です。